心のストレスは放っておくと、「チリも積もれば山となって」体に影響を与えると私は考えています。
私が自律神経が乱れてパニックになった根本的な原因も、心のストレスだと思っています。
ストレスは早めにケアすることが大切です。ただストレスがあるのが当たり前になりすぎていて、何がストレスなのか?気づけないことがあります。
参考までに私の今まで人生のこじれ具合と、心が生き返ってくるまでを書いてみました。
35才までの私・抑圧期
フリをして生きる
35才までの私はフリフリ人間でした。(現在40才)辛いときは大丈夫なフリ、元気なフリ、明るいフリ。苦手なことはできてるフリ。
知らないことは知ってるフリ、不安なときもヘッチャラなフリ。人の気持ちに共感してるフリ。
そんな私が何よりも大切にしてたのは、ふつうのフリでした。
私の中にはふつうの基準がありました。笑ってて楽天的で明るくて、だいたいのことはそつなく出来て、楽しくイキイキしてて、人のことも考えれる優しい人。
このイメージとはぜんぜん違う自分をダメだと思っていました。本当の自分の気持ちを押し込めてたせいか、気づいた頃には自分の気持ちがわからなくなっていました。
何がしたいのかわからない。本当に自分が求めてるものがわからない。好きなことがわからない。なので人生の選択ミスがすごく多かったです。
別に好きでもない部活に入って、楽しくもないのに頑張って続けたり、(当時はやめることはダメなことだと思ってた。)
なぜだか苦手な洋裁の専門学校に入ったり、(すごいストレスなのに辞めれなくて、結局卒業後、関係のない仕事について親を怒らせた。申し訳ない!)
挙げ句の果てには30代になるとカフェのメニューでさえも、選びたいものを選べず、飲みたくもないものを選んで後悔していました。
またフリを続けるせいか、自分の感情もわからなくなっていました。辛い感情はわかるんですが、嬉しい気持ちがほとんどわからなかったんです。
ありがとうと言われてもぜんぜん嬉しくならない。でも申し訳ないので喜んでるフリをいつもしていました。
24時間怒る女
他にも私は人間関係もおいてもフリフリ人間でした。仲のいい友人や、付き合ってる彼氏にでさえ本当の自分は出せませんでした。
むしろフリフリ人間が板についていて、相談するとか本音を伝えるということすら気づきませんでした。
でも所詮「フリ。」私の本音と建前はいつもギャップがありました。
まわりの人からは良い人だと言われてきました。それはそうです。
相手の気持ちがわからなくても「そうですね。」「すごいですね。」「辛かったですね。」と共感しているフリをしてきたからです(笑)でも本当はぜんぜん違いました。
本当の自分の気持ちを我慢してるので、顔では笑ってても心はイライラしてることが多く、大げさじゃなく24時間怒っていたと思います。
捨てられる前に捨てる!こじれた恋愛!
恋愛にも支障が出てました。はじめて人と付き合ったのは高校1年生。もうこの時から何かあるとすぐに「別れる。」と言って相手を傷つけていました。
これは30代後半になってからわかったんですが、私の中に見捨てられ不安というのがあって、
自分を否定されたと思ったり、自分が必要ないんだと感じると心のシャッターをガラガラガシャ!と一気に閉めたくなるんです。
そしてあまりに気持ちが辛すぎて、「相手に捨てられるなら私が先に捨てる!」という発想になって、相手とのつながりを壊していました。
他のパターンとしては相手とうまくいかなくなると「早く捨ててほしい。」と思うこともありました。なので恋愛はいつもうまくいきませんでした。
つき合ってどんなに親しくなっても、相手のことを信じることは恐くて出来ませんでした。
他にも私は彼氏に振られると引っ越する癖がありました。もう2度と顔もみず、未練が残らないように引っ越していたんです(笑)
周囲からは行動力がある人と思われていましたが、私が東京に住んだのも、沖縄に住んだのも全部逃げるためです。
相手の顔色、間、声のトーンを読む女。
こんな感じだったので人との間にはいつも壁がありました。そしてフリをしてる自分がバレないように、今思えばいつも気を張っていました。
人が求めてることを先まわりして、わからないとダメだと思っていて、それが出来ない自分はダメだと思っていたんです。
でも私は人との間に壁を作ってるせいか、人の気持ちが本当にわからなかったんです。よく人の気持ちになって考えなさい。って言いますが、私はこの感覚がさっぱりわかりませんでした。
でも人の感情にはとても敏感で、相手の顔色、話の間、声のトーンで相手の機嫌がなんとなくわかるんです。
相手にとって今自分が言った言葉が合ってたのか?間違えてたのか?相手の反応に一喜一憂するのが私のコミュニケーションでした。
なのでいつもビクビクしてましたし、緊張していました。
他にも相手を傷つける感じがして、NOという言葉や自分の意見が言えなかったので、人との関係は私にとっては我慢の連続でした。
自分軸なんて一ミリもない!
フリを続けるということは、自分が自分であるという感覚が薄くなります。人生を自分で歩いてる感覚がとても薄かったです。
そして何を頑張っても自分の自信につながることがありませんでした。そのせいか自信はゼロ。自己肯定感なんて一ミリもなかったと思います。
というか意味がわからないレベルです。自分軸もそう!だから人の意見にすぐ流される。自分の考えがほとんどありませんでした。
よく思っていたのは、自分が話してることはどこかのテレビやネットや、本や人が言ってることがほとんどじゃないかなと。
自分がぜんぜんなかったので、いつもブレブレでいつも不安でした。
幸せが感覚的にわからない。
自分がイヤで、自分のことは否定しかしていませんでした。何かうまくいっても、それは当たり前のことだと思っていました。
毎日は後悔の日々。何年も前のことをずっと後悔していました。
よく「生きづらい」「消えたい。」と思ってました。自分をつぶすイメージもよくしてました。
幸せなんてものはもちろん、わからなかったです。私には手に入れられないものだと思っていました。
そして辛いときは誰かに頼りたいけど、こんな自分を見せるのは申し訳ない、迷惑がかかるという気持ちが強かったです。
人が羨ましい!
私は堂々とイキイキと生きてる人がとても羨ましかったです。そして苦手でした、こわかった。
自分にない幸せをもってる人を見つけては、自分と比較して嫉妬して落ち込んでいました。当時は仲のいい友人の結婚式でさえ心から喜べませんでした。
働くのが苦しい!働きたくない!
仕事に対しても大変でした。本当に自分に合う仕事があると知るまでは地獄でした。
なんせ自分にまったく自信がない。そして人の顔色ばかりが気になる。そしてやりたいことがないので働きたくもない。
どちらかというと私にとって仕事は、世間体を気にして強制的に働いてるという感覚でした。
バイトは怒られるのが怖かったので頑張ってるフリ、真面目なフリ。いつもビクビクして働いてました。正直働くのが大嫌いでした。
こんな状態だったので人生がぜんぜん楽しくなかったです。
旅行やカラオケや、飲み会やショッピングなど楽しいこともしてましたけど、一人になるとうつうつ、悶々、イライラしてました。
いつも自分じゃない誰かかになりたいと思っていました。
親との関係
私は25才のときに実家に戻り鍼灸学校に入りました。母と父と私の3人の生活。大人になって実家に戻ると、親との関係が子供の頃よりも明確にわかるようになりました。
母の笑ってる顔がほとんど思い出せません。母は感情が不安定で、母が求めてることをしないと罵倒されるのがうちでは普通でした。それが日常でした。
母の機嫌を損ねると、これでもかっていうほどに私の悪いところを並べ、過去に必敗したことを根掘り葉掘り言われ、
「だからあなたはダメなんだ。あんたなんて産まなきゃよかった。あんたとは縁を切る。」よくこう言われてました。
私はなんで私を産んだんだろう?子供なんて欲しくなかったら生まなきゃよかったのに。私も産んでほしくなかったなって心底思ってました。
こういうことがあるたびに私は全ての気力がなくなって、生きてるだけで精一杯という状態になっていました。
「そうだね。」って言って欲しい。
基本的に母に否定されることがほとんどで、私が言うことに対して「うん。」とか「そうなんだ。」と頷いてもらった記憶がありません。
楽しかったことを話しても皮肉や嫌味が返ってきて、うまくいったことを話せば「そんなの当たり前、私はもっと〇〇だった。」という感じで母と比較や競争をされる。
わたしが悩んでることに対しても「もっとあなたよりも不幸な人がいる。あなたは恵まれてる。わがままだ。」と言われ、受け入れてもらえない苛立ちと虚無感をよく感じていました。
両親は私が子供の頃から大声で罵倒するケンカが多く、子供の頃の私は不安と緊張感の中でビクビクしていた気がします。父と母からお互いの悪口を聞くことは日常茶飯事でした。
ケンカのあとに母によく聞かれてたのは、「離婚したらお父さんについてく?お母さんについてく?」今思うとこれって、子供にとって不安以外のなにものでもないと思います。
他にもいろいろありますが、私は実家に戻ってきてからこういうこともあり、必要以上に母との接触を避けるようになりました。自分の部屋からあまり出ないようにして、食事も許される限りほぼ孤食をするようになりました。
2018年5月21日、心のパンドラが開く!
私は35才のときに参加した仕事のセミナーで、人生ではじめて人前で本当の自分をさらけ出さないといけない状況に追い込まれました。
今まで私は自分自身にすら嘘をついて生きてきました。忘れたい過去、後悔、ダメな自分、暗い自分にはフタをして生きてきました。
それなのにまさか今日はじめて会った人たちの前で、隠してきたダメな自分をさらけ出さないといけないなんて、、、。本当に最悪でした。
はじめて自分の心にスポットを当ててわかったことは、本当の私は何も持っていない。ということです。経験も、自信も、成果も、誇れるものも、想いも、こうしたい!という未来も、、、何も持っていませんでした。
そしてなんといっても、自分というものが全くありませんでした。
社会で真っ当に生きて成功してる経営者の人たちの前で、私は何者にもなれず、どんどん崩れていきました。
そして心はとても苦しく、自分が超絶ダサくて情けなくて、惨めで、でも取り繕うことも出来ず、
しまいには仕事のセミナーなのに、私はまったく知らない大人たちの前で号泣していました。(しかも私が教壇のところに立って、みんなの視線を浴びてる中!)
この日は忘れもしない2018年5月21日。この日この瞬間、わたしの心のパンドラの箱が一気に開きました。それと同時に私に強い思いが生まれました。
「もう何かのフリをして生きたくない!」
この日を境に私の人生の生き直しが始まったのでした。
「まさか私がアダルトチルドレン ?」
毎日いろんな気持ちが押し寄せるようになりました。そして「どうしてこんなに生きづらいのか?」「何で自分はこうなのか?」ということをずっと考えていました。
そしてわかってきたのが「アダルトチルドレン」というものでした。
私の人に拒絶される恐さや、自信のなさ、自己否定感、自己肯定感の低さ、何かのフリ。こういう考え方がアダルトチルドレンだと知ったんです。
そして親の育て方に原因があると知ったとき、私は心底驚きました。そしてなんとも言えない怒りがこみ上げてきたんです。
大人の第三次反抗期のはじまりです!だいたい1年半は激しく反抗していました。
「私はお母さんとそっくりだ。」
ただこのとき私は強い決意に似た気持ちが湧きました。「これからの人生は自分の気持ちを大事にして、本音で生きたい!」この時から自分の気持ちにスポットを当てるようになりました。
また親との関係にもスポットを当てはじめました。「私が親に求めていることはなんなのか?」「どうしてこんな風になったのか?」いろんなことを考えるようになったんです。
この結果わかってきたのが、私が感じてる生きづらさを母親ももっていること。
そして母と私はそっくりなこと。
母にされて嫌だと思っていたことを私も人にやってると気づいたんです。愕然としました。すっごい恐怖でした。自分が恐かった。でもこれが事実。
私は苦しいながらも今の事実をもったまま、「自分の気持ちを大事にして、本音で生きる道」を歩きはじめました。
35才からの私・生きなおし期
カウンセリングと自助団体でさらけ出す!
次に私は同じような仲間と会ってみたい。仲間の話を聞いてみたいと強く思うようになりました。そこで見つけたのがアダルトチルドレンの自助団体です。週に1回参加しました。
はじめのうちは知らないメンバーの中で自分のことを話すのに緊張しましたが、それでも心に溜まってた気持ちを外に出すことで、芋づる式にいろんな気持ちが出てくるようになりました。
仲間とはそれぞれ境遇は違うんですけど、共感できることが多く得るものも多かったです。
いろんな話を聞いて確信したのは、育ってきた家庭環境と生きづらさは関係があること。そして子供の頃についた傷が癒えてないと、大人になって日常生活や社会生活に影響が出ること。
繰り返し傷ついたことや深い傷は、放っておいても治らないんだなと思いました。
カウンセリングも受けました。アダルトチルドレンのブログを書いていた先生で、すごく共感できたのでこの人のカウンセリングを受けたいと思ったんです。話を聞いてもらうことは、傷を癒すことに繋がることを実感しました。
仕事で自分をさらけ出す!
私は仕事の中でもお客さんに本当の自分を出していこうと思いました。ダメなところも含めて、さらけ出していこうと思ったんです。その1つがブログです。
当時の私は誰にも知られたくない自分の後悔を綴った「後悔を公開ブログ」というブログを、当院のホームページに毎日書きはじめました。
鍼灸とはまったく関係がない内容なので自分でバカだなと思いました。だってこんなダメで暗いブログを書いたらお客さんがこなくなる。
それよりも何よりも軽蔑される。引かれる。すっごい恐かったです。でも自分が進む道はコレしかないという感覚がありました。
ダメな自分を一番見せたくないのは仕事でした。いらないプライドですけど、お客さんにはちゃんとした先生に見られたかった。お客さんの上に立ってアドバイスしたり、いい先生だと思われたかった。
でもこのブログを書いてから、この価値観がおもっきり変わっていくことになります。
私は心の中にずっと引っかかってた、恥ずかしくてダサい自分をブログに書くことにしました。
今まで必死に隠してきたせいか、ぜんぜん書き進まないんです。今までの自分が書くことを断固拒否してる感じでした。
キーボードを打つ手がすごい重いんです。一文字打つたびに感情が溢れてきます。恥ずかしい、ダサい、イケてない、甘ったれ、、、。気づけばキーを打ちながら泣いていました。
私はこのブログは自分のために書いていました。1ミリもお客さんのために書いていませんでした。なのでとても驚いたんですが、今まで真面目に書いてきた、どの健康に関するブログよりも一番反響があったんです。
今まで連絡をとっていなかった人達から「共感した。」「実は私もそうだった。」という連絡がきました。私は今まで経験したことがない嬉しさが込み上げてきました。
こういう感動は初めてで、人と繋がる感覚を生まれて初めて知りました。
本の感想会
同じような生きづらさを持ってる仲間がいる。仲間がどんな気持ちや考え方を持ってるのか話を聞いてみたい。そこでやり出したのが本の感想会です。
同じような仲間で一冊のアダルトチルドレンの本を読み、感じたことや今までの経験を赤裸々に話し、聞くということをやりはじめました。
何か目的をもって始めたわけではないんですが、実際にやってみると本音を外に吐き出すことが、心を根本から変える土台になることがわかりました。
私は今まで「変わりたい。」と思っていましたが、何をやっても考え方や行動は変わりませんでした。変わっても一時的。
これが本音を何度も何度も口に出すことで、少しづつ自分が変わっていってる、精神的に成長してるのが実感としてわかるようになりました。
「本音を言う。」この行為は自分の気持ちを知り、自分を肯定し、自分を大事にすることに繋がるからだと思います。
こういうことを普段からやっていると、自然とお客さんとも赤裸々な話や、等身大の自分で話をするようになっていきました。友人や初めて会う人ともそうです。
今までは背伸びをして話していましたが、私はずっとそのままの自分で話しをしたかったんだなと気がつきました。
4才に戻りたい!退行期。
私は生き直しはじめてから、とにかく自分がしたいと思ったことは、しっかりとやることにしました。例えばそれがどんなに変なこともであっても。
その中の一つに退行(たいこう)があります。これは子供に戻るということです。これは心の治療のため。というよりも、やりたいからやっていました。そして当時、退行なんていう言葉すら知りませんでした。
私はたぶん3、4才に戻りたかったんだと思います。小学校に入る前で言葉がまだたどたどしいくらいの年齢。一人になったときにこっそり幼児に戻ってました(笑)
何をするかというと幼児言葉で好きなことを話してました。自分のことは、じゅんこちゃんと呼んでいました。
「じゅんこちゃんね~、〇〇なの!」「じゅんこちゃんね~、〇〇したよ!」とか、とにかくじゅんこちゃんを連呼したい(笑)私はこの時期をじゅんこちゃん期と呼んでいます。
他にも、だって、だって期というのがありまして、とにかく「だって、だって。」を連発して、おもっきり言いわけをしたい時期がありました(笑)全部人のせい。子供に戻っているのでなんでもあり!コレが居心地がよくて気持ちもラクでした。
また同じくしてこの時期は、指おしゃぶ期でもありました。おしゃぶりがなぜかやりたくなるんです。自分の欲求にしたがってあれこれやっていました。
架空の親指お母さん。
私は実の両親と思うような関係が気づけていなかったので、空想上の両親を作ることにしました。私は空想することによってとても気持ちが救われました。
空想上の両親は、里親の優しいお母さんとお父さんという設定で、お母さんは私の話をいつもよく聞いてくれます。
何か辛いことや困ったことがあると必ず相談しました。そしたらいつも元気が出る答えや、アドバイス、励ましや、ときには私にハッとするような投げかけをくれるんです。
ちなみの私は自分の親指を里親のお母さんにしていたので、親指に話しかけていました(笑)また親指のお母さんに撫でてもらうことで安心して夜も眠っていました。
「私」を連呼したい期。
幼児期を経験した後ちょっと成長したのか、今度は「私」という言葉を連呼したくなりました。「私は〇〇。」という感じでとにかく自己主張がしたい!
ネットか何かで、うつ傾向がある人は「私」という言葉をよく使うというのを見ました。また相手のことを考える人は「私たち」という言葉を、よく使っているという記事を読みました。
今までだったらこういう記事をみると、「私」という言葉を控えていたんですが、逆におもっきり「私」という言葉を使ってみたいと思いました。
言いたいだけ「私」を連呼する。別に自分のことだけを考えていい!精神的にプラスになんてならなくていい!精神的な成長なんてしなくていい!言いたいだけ「私」と言うようにしました。
レンジ飛び蹴り、取っ組み合いのケンカ。
この時期は親に対して強く怒りが出た時期でした。大人の第三次反抗期は大惨事!まずなんでも親のせいにしたくなりました。
「こんな風に育てて欲しくなかった!」と泣き叫び、時には怒りまくってレンジを飛び蹴り、70代の母親と取っ組み合いのケンカ。
私の「こうして欲しい!」「こうして欲しかった!」という気持ちがストレートに出た時期でした。でも一度も話を聞いてもらえることも、頷いてもらうこともできませんでした。
私はこの事実を受け入れることが出来ずにいつもイライラしていました。そして親との関係はどんどん崩れていきました。私が壊したんだと思います。
そしてさらに悪いことに、このとき私は自分のブログに生きづらかった実体験を赤裸々に書いたり、親との関係についても書きはじめた頃で、この記事を親が発見したんです。かなり激怒されました。
そしてさらに家族の関係が壊れました。
ただ私はこの時期を後悔していないんです。このとき親のせいにしっかり出来たからこそ、その後の道が開けていったという感覚があるからです。
「親だけが悪いんじゃなくて、自分も悪いんだけどさ。」やめました!
「親だけが悪いわけじゃない、私も悪い。」以前の私はこの言葉をよく冒頭につけていました。それは本当に思っているわけでも、親をフォローしているわけでもなく、自分をフォローするために使っていました。
「私は親のせいにするようなひどい人間ではない。」「甘ったれた人間ではない。」という自分へのフォローです。
でも私はなるべくこの言葉を言うのをやめました。なぜなら本当はこう思ってないから(笑)思ったこと、思えたことだけを口にしたいと思ったんです。
だから私は正直いつもこわかったです。こんな私を人にどう思われるか?ビクビクしながら自分の気持ちに正直にいました。
私のパニックの原因は、怒りと孤独感?
本音を大事にすることで、自分の中の感情がわかってきました。私は怒りが多い!特に生き直しをはじめてから2年くらいは、親に対しても、自分に対しても、過去の後悔に対しても、人に対してもすっごく怒りが出ました。
怒りまくってたことで、ある体の異変が起きたんです、、、。
「パニックが復活しそうになった!!」
ある夜、母に怒り狂う夢をみて急に起きたんです。そしたら忘れかけてたあの不安感に10年ぶりに突然襲われました( ̄O ̄;)マズイと思いましたよ。でも何とか静まって一件落着。
ただこのときハッとしたんです。「もしかしてパニックって怒りと繋がってる?」私にとって感情と体が繋がってる。という1つの貴重な経験になりました。
また別の日の話なんですけど。私は昔から年に何回か強い孤独感に急に襲われる時がありました。
自分と向き合い出してから、さらに強い孤独感に襲われたことがありまして、このときもパニックが復活しそうになって焦りました!寸前で治ったんですが、またまたハッとしたんです。
「もしかしてパニックと孤独感って繋がってる?」私は心と体は繋がってる。と考えるようになりました。
死ぬ話はタブーじゃないんだ!
辛くて辛くて、あるときとても自殺について調べたくなりました。私は死ぬ勇気はありません。でも気になったんです。今までなら調べたらダメな感じがして絶対に調べませんでした。
こんなこと考えたらダメかも?とかタブーかも?とか、罪悪感があったんです。でもこの際しっかり調べてみることにしました。
本を読んだり、サイトをみたり、YouTubeをみたり。私が興味を持った人は死んだ人ではなくて経験者でした。自殺に失敗した人。
こういう人たちの赤裸々な話はマイナスでもプラスでもなく、ある意味とても死について考えることを肯定的にしてくれました。
死について考えること話すことは悪いことじゃない。ふつうのこと、大事なこと。あれこれいろんな人の話を調べてるうちに、私の心は落ち込んでる状態から、ふつうの状態になっていきました。
正直に話して撃沈。
私はすごい気持ちが辛いときにメンタル系の仕事をしてる人に「辛くて死にたい。」って言ってみたことがあります。このとき返ってきた言葉が、「自分で死にたいっていう人は死なない!」
正論かもしれません。だけど、、、私は撃沈しました(笑)勇気を出して心の内を出したことに後悔。
でもこの一言のおかげで私に強い気持ちが芽生えました。例えどんな人がどんな状況で「死にたい。」っていう言葉を使ったとしても(私の勘違いだったとしても)、「どうしたの?」って私は聞き返したいなと。
友達の話を聞くように、自分の話を聞く。
私はなるべく自分がしたいと思ったことを、自分にさせてあげたいと思うようになりました。今まではブレーキがかかっていて出来なかったんです。
我慢することを良しとする両親の影響も受けていると思います。でも私にとってこの我慢という美徳は、プラスに働かなかったのでやめることにしました。
ちょっとした自分の気持ちを叶える練習をたくさんしました。今でもしています。
例えばサウナに行きたいと思ったら行くとか、食べたいものを食べるとか。
ほしいものを買うとか、堂々と朝寝坊をするとか、美味しそうだなと思ったら、スーパーでふだん買わない高価なステーキを勇気をもって買ってみるとか。
日常の中の叶えたいことに私は注目しています。
すぐに叶えることが出来ないこともたくさんあります。今までは「どうせムリだ。」と思って諦めるのが普通だったんですが、だんだんと自分の心の声に耳を傾けるようになりました。
自分のやりたいことに対して「あーそうか、それしたいんだね!できたら最高だね!それに向かってこう!」てな感じで肯定的になってきました。
相手も私も両方大事。だから正直になりたい。
相手に自分の考えや意見を伝える。これも積極的にやるようにしました。ただ今までやってこなかったので、とても勇気がいることでした。
相手の意見と食い違うのが恐かったんです。相手がイヤな気持ちになったらイヤだなとか、傷つけたらどうしようとか、嫌われたらどうしようという気持ちがありました。
そして私はいつも自分の発言は相手にとって、当たってるか?外れたのか?という2択をとても気にしていました。相手にとって心地いい答えを言えたか?期待に添えたか?それとも違うのか?いつも無意識的に判断してしまう自分がいました。
このせいか親しい友人との楽しい時間さえ、2時間もするとドッと疲れていました。
こうなったのは私自身が否定されることや、頷いてもらえなかった経験が多かったからかもしれません。
でも私は考え方を変えてみたいと思うようになりました。自分の本当の気持ちを大事にする。自分の考えをないがしろにしない。
そして自分が大切だと思う人には、勇気をもって自分の気持ちを伝えたいと思うようになりました。例え自分が傷ついたり、相手を傷つけてしまうことになってもです。
現在・チャレンジ期
自分を癒す方法を模索!
今までは考えてる時間が多かったのですが、その考えを行動にうつすようになってきました。私はこれをチャレンジ期と呼んでいます。私のチャレンジはきっと死ぬまで続くと思いますし、続けていきたいと思っています!
自分の本当の気持ちを大事にすることで、私は自分が好きなものや興味があるものがだんだんとわかってきました。
今までは熱中できる何かがほしい、生きがいがほしいと思っていましたが、見つかりませんでした。見つけたと思っても何か違和感があって続きませんでした。
これは私が自分で作った、ポジティブなイメージにそったやりたいことだったからだと思います。
好き嫌いをはっきりさせてみる。
私は今まで「嫌い」という気持ちを持つのは、ダメだと思ってきました。でも思いきって嫌いという気持ちを大事にしました。そしたら自分がどういう人間でどういう趣向があるのかがわかってきました。
また「嫌い」という考え方に対しても別に悪いことではなく、ただ今の段階でそう思っているにすぎない、ということに気づきました。
すべてが二択の選択ではありませんが、自分の違和感にはしっかり目を向けるようにしています。違和感こそが次に進む道を教えてくれる、と思っているからです。
みんなに好かれるのはムリなんだ!
私は自分にも相手にも、できるだけ本心で接する生き方をしたいと思っています。これは相手に、自分の好き嫌いや考えをハッキリ伝えることになるので、人に好かれもするし嫌われもします。
私はみんなに好かれたい、嫌われたくないと思って生きてきました。
でも最近気づいたのは自分らしく生きるとなると、みんなに好かれるのはムリなんだなと。私と合わない人がいて当たり前なんだなと。
私も相手も悪いわけじゃないく「ただ合わないだけ。」っていう事があるんだなと。
自分の気持ちを出すと、ワガママかなって思うことがありますが、今の私にとってはワガママも大事にしたいと思います。
人とどう付き合うか?
私は人付き合いにいつも正解を求めてきました。相手に対してどういう言葉や態度をとるのが正解なのか考えていたんですが、正解なんてないんじゃないか?と思うようになりました。
相手に対しての正解よりも、自分に対しての正解の方があるのかもしれません。これは私の場合、自分の気持ちに嘘をつかないということです。
人と繋がることは今でも勇気が必要なときがありますが、シャッターを開けたり閉じたりしながらも人と繋がっていきたいと思っています。これは私が求める幸せだとわかったからです。
心のシャッターを開けると傷つくことがあるのでイヤなんですが(笑)実際にシャッターを開けはじめてから、今までは得られなかった喜びや、嬉しさ、楽しさ、学びを感じています。
シャッターを開けた世界は私にとって価値がある宝の宝庫です。
人間になってきた!
自分の欲しいものをしっかり選んで手に入れる。これを大事にしています。例えば日常的なことなら、カフェで頼みたいメニューをしっかり決めるとか。
店員さんが待ってようが、友人が待ってようが、どんなに時間がかかっても、そのときの自分が一番気になるメニューを選ぶようにしてます。
他にも自分の好きなものを焦らず丁寧に選んで、自分を喜ばせてあげてることを繰り返してきました。
こうしてるうちに、私の心に大きな変化が起きました。
ある日私は友人のプレゼント選びをしていました。そしたら今までにない、とても満ち足りた幸せが急に湧いてきたんです。
今まで人に何かをして、幸せを感じたことは正直ありません。
この幸せはきっと、自分を大事にする幸せを知ったからこそ、人を大事する幸せがわかった瞬間だったんじゃないかなと思います。
それからというもの、プレゼントをするのが好きになりました。
また以前は、人からプレゼントをもらう嬉しさもほとんどわかりませんでした。
ただ、自分も人も大事にする嬉しさがわかるようになってきてから、人からプレゼントをもらう嬉しさや、何かをしてもらう嬉しさも、わかるようになってきたんです。
これは私にとっては大きな心の成長です。大げさじゃなく、人間になってきた!という感覚です(笑)そして「嬉しさ」という気持ちは育つんだなと実感しています。
「今日の私、かわいいわ♡」
今まで自分のことを褒めたり、認めたりすることはありませんでした。ほぼ100%と言っていいくらい自分に対して否定的でした。
今は自分の気持ちを大事にしたいと思っているので、自分がどういう風に人に声をかけてもらったら嬉しいか?を考えて、その言葉を自分にかけるようにしています。
これをやってるうちに、自然と自分のことを褒めるようになってきました。鏡をみて「今日の私かわいい!」とか(笑)、何か小さなことでも出来たら「できたね!おめでとう!」とか。ときには励ましたり、叱咤激励したり。
誰がどう思おうが、クオリティが低かろうが、私は自分が嬉しいと思う言葉を、自分にかけてあげています。
こうしてるうちに自然とまわりの人にも、「可愛いね!」とか「イイね!」とか、こういう言葉をかけるようになりました。
自分=相手の法則
今まで私にとってありがとうは社交辞令でした。今は「ありがとう」と思えたときだけ、「ありがとう」を使うようにしてます。
気持ちを込めて言える方が自分的にしっくりきますし、相手に伝えるときに嬉しい気持ちが湧いてきます。
自分の気持ちを考えるようになってから、自分に興味をもつようになりました。
自分の特徴や得意なことや苦手なことなど、いろんな一面を知りたいんです。そして自分をどうやったら活かしていけるのか?こういう風に考えるようになってきました。
自分に目を向けているうちに、だんだんと人にも目を向けるようになっていきました。
今まで人のことは、本当に考えられませんでしたし、興味ももてなかったので、自分は冷たい人間だなと思ってきました。なのでこの心の変化に正直驚いています。
「自分を大事にできないと、人を大事にできない。」ふだん自分にやっていることが、人に出来ることなんじゃないかなと感じています。
自分と人は繋がっている。私は自分も人も、両方大事にする生き方をしたいと思っています。
自信はこうやって出来るんだ!
今まで「変わりたい。」という気持ちを強く持ってました。でも何をやっても変わることはありませんでした。いろんな経験や失敗も、点と点が線になることはありませんでした。
本音を大事にしてから、人生で初めて自分の成長を感じるようになってきたんです。「3ヶ月前の私と今の私は違う。」「1ヶ月前の私と今の私もやっぱり違う。」と感じるんです。
そして1つ1つの経験が繋がるようになっていきました。「経験を積んでいる。」という感覚があります。
この感覚は今までの人生にはなかったので、とても嬉しいです。そして自信はこうやって出来るんだなと知ることができました。
ネガティブ・アイラビュー♡
今までネガティヴな自分はダメだと思っていました。今は大事な友達だと思っています。
私はネガティブを擬人化して、落ち込むときはネガティヴたちと話すようにしています。こうすることで今の自分に必要な対応がわかってくることも多いんです。
私の持論として、ネガティヴとポジティブは繋がっていて、ネガティヴを大事にすることで、本当のポジティブと出会えると思っています。ネガティヴの進化系がポジティブという感じかもしれません。
私は以前よりもだいぶメンタルが落ちる回数が減りましたが、それでも落ちることがあります。そんなときは思いっきり落ちることにしています。
自分の殻に思いっきり閉じこもって、思いっきり悲観的になって、思いっきりいじけて一人ぼっちに浸る!うだうだ期も大事にしています。
自分を生かす!
私は空想するのが好きです。私は今までこういう自分を、地に足がついてない大人だと思って、マイナスにとらえていました。今はこういう特徴を思いっきり楽しんでいます。
物を擬人化して話しかけ、時に一人でいるときに変な踊りを踊り、出来るだけ溢れてきたものを表現するようにしています。
また今まで何かにチャレンジして、うまくいかないことがあると、「やっぱりダメか。」という感じでしょげることが多かったんですが、最近気づいたのは、チャレンジの仕方も自分にあった方法がある!ということです。
自分の特徴を知って、自分に合った創意工夫をすることで、開ける道があると思っています。
私は母のことが大好きだわ!
私は自分で自分を育ていきたいという気持ちがあります。親が子供を育てるように、自分を育てていきたい!たぶんこれしか道がない(笑)
時には自分をハグをして、時には背中を押しながら育てていこうと思います!
できたら実際の母とはうまくやっていきたいです。今まで近くにいるとうまくいかずケンカが絶えませんでした。
一緒にいると自分の心が折れる。母も不安的になる。お互いにプラスにならない。ということで、15年前に実家に戻ってからずっと一緒に暮らしてきましたが、勇気をもって最近一人暮らしをはじめました。
距離を置くことで以前よりもバランスが取れてる感じがします。もちろんケンカもしますし、性格的に合わないなと思うこともよくあります(笑)
ただ前よりも落ち着いた関係を築けています。そして私自身、母への考え方や家族への考え方が変わってきました。家族にはいろんな形がある。これを今は学んでいます。
母と離れて素直に考えてみたんですけど、私はマザコンかもしれません(笑)ケンカをして嫌な気持ちになることもありますが、それでもどんな母でも私は母が大好きです!
これがわかっただけでも、距離をとった甲斐があったなと思います。
生きづらさを感じているあなたへ。
「私はあなたに何ができるのかな?」と考えてみると、あなたが体調が悪いなら、治療で体を良くすることだなと。
もしあなたが生きづらさを感じているなら、まずはいろんなことを一緒に話したいです。
あなたがどんなことを考えて、どんなことを感じていて、本当はどうしたいと思っているのかを聞いてみたいです。
私はカウンセラーでもアドバイザーでもなく、人生を共に楽しく生きていく仲間として、あなたと一緒に治療ができるのを楽しみにしています。
この仕事をやっている理由。
私はパニックの経験から治療を通して、同じように健康面で困ってる人の役に立てたら良いなと思っていますが、
一番思っていることは、自分の人生をいつもどこかで諦めている人と、いろいろ話せたらいいなと思っています。
私自身がいろんなことを諦めてきました。
それは何かに対するチャレンジだったり、自分の気持ちのままに生きることだったり、自分が持ってる力や価値や、自分自身というものをほとんど諦めてきました。
ただ、諦めていると思っていたんですが、本当は私、諦めていなかったんです。なぜならいつも変わりたいと思っていたから。本当に諦めてるなら、「変わりたい」なんて思わないはずです。
私はずっといろんなことにチャレンジをしたかったんだと思います。でも自信がなくて、恐くて恐くてずっと足踏みをしてる状態でした。
前に進みたいのに進めない。同じところにずっといる自分。情けなくて惨めで、甘ったれで、いつも何をしたい自分と、恐くて動けない自分の葛藤がとても辛かったです。
私は生きなおしを始めてから、「自分の本音を大事にすること」で、前に進めることと、動けるようになることを知りました。
「人って変わる。」この発見は私にとって意外でしたし、とても価値を感じます。自分の力で前に進める、動けるって幸せです。
この最高の気持ちを、同じようなことで悩んでる仲間に感じて欲しいと思いました。たぶんとても求めてると思うから。
私は心の面では、あなたの役には立てないかもしれませんけど、何かの踏み台にはなれると思っています(笑)これは鍼灸師としてではなく、仲間としてあなたに思っていることです。
さ!これからの人生、一緒にいろんなチャレンジをしましょう!自分の成長を一緒に楽しみましょう!
いろんなことにチャレンジして、泣いて笑って、怒ってスネて、いろんな自分を感じていきましょう♡
あなたと共にチャレンジができる人生をおくれることを、とっても楽しみにしています!
心と体の変化。
そうそう!心が変わったことで、体にどういう変化が起きたかをお伝えしていませんでしたね!
一言でいうとそれなりに良い感じ♡これに尽きます(笑)!
もっと感動的な結果をお伝えしたいんですが、私は40才という年齢もあり、以前より疲れやすかったり、今までなかった不調もたまに出ることがあります!
他にも38才のときにリウマチを発症しまして、この痛みが出ることもあります。(このリウマチに関しては、今までのストレスが関係してそうだなと思っています。ストレスは免疫に関係するので!)
ただこういう状態にありながらも、それなりに元気です!この「それなり」っていうのが良い状態なんじゃないかなと!
40歳を過ぎるとホルモンの関係から、今までの体の状態とは変わってきます。20代、30代とは違う、新たな自分の体とのお付き合いが必要です。
自分の体といかにうまくやっていくか?を考えたとき、「それなりに良い感じ♡」これこそが、40歳から目指すところだと思っています!
あとですね。心がラクになることで変わったと感じているのが、体が不調になった時でも、必要以上に落ち込まなくなりました。
落ち込んでも自分を大事にできますし、ある程度カラダが回復すると、気持ちが前を向いていきます。
以前は不調になると、不安がさらに不調を呼んで不調のループに陥ったり、気持ちも落ちていく一方でしたが、これがグッと減ったことで、不調のときでもけっこう幸せ者です!