当院に通うだけでも
当初大変だった
患者さんにゆうかさん。
鍼灸治療で、どんな風に改善したか?
あなたに丁寧に
この体験談で教えてくれます☆
今回、今までの人生を
振り替えらないと書かないと
どれくらい鍼灸治療で
良くなったかわからないから。
ということで、
今までの人生を振り返りながら
2回にわけて
体験談を書いくれました☆
絶対に、参考になる体験談です。
ご覧くださいませ!
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「辛いのはお前だけじゃない
みんな同じなんだ!
むしろ大人の方が
たいへんなんだぞ!!」
当時、中学1年生の後期
私が「肩のこりがひどく、辛くて仕方がない。」
と学校の教員に相談したときの
教員の反応である。
その時の私は心の中で
「そうですよね、みんな辛い中
頑張っているんだよね!
何を甘いことを言っていたんだ私は!
我慢しなくちゃ!!」と、
自分を鼓舞し、
辛さに耐える道を選んだ…。
…その我慢が間違いだった。
間違いだったことに気づいた時、
私は27歳になり、
一日の半分以上床につき
身体の自由も効かず、
何もできない身体になっていた。
・プロローグ 〜
クリア鍼灸院に出会うまでの私 〜
事は、15年前に遡る。
私は当時、中学1年生で
吹奏楽部に入っていた。
部内ではバリトンサックスという
7〜8kgの重い楽器を担当し、
楽器を身体に固定するために
首に専用のバンドをかけて
楽器に接続し、
首から楽器を吊るして演奏をしていた。
部活から家に帰ると
学校で習った事の復習や、
塾の宿題をする日々。
部活に勉強、私は嫌いではなかった。
むしろ、充実した毎日を
過ごしていたと思っていた。
しかし、少しずつ身体に異変が出てきた。
『首や肩周りが痛い。』
母や学校の先生に相談しても
「肩こりが辛いのは大人の方、
子どものうちから何を言っているの?」
こんな返事が返って来るだけだった。
そう言われるたびに、
「私の痛みなんて軽いものなんだ。
耐えて強くならなくちゃ!」
と、自分に言い聞かせた。
こうして、2年、3年と
中学校生活を過ごしていった
私の身には、
更なる異変が現れた。
『手足の先が氷のように冷たい、
冷たすぎて眠りにつきづらい!』
私の手足の先は、
年を追うごとに冷えて氷のような
冷たさになり、
どんなに外部から温めても
氷のような冷たさが
変わることはなかった。
しかも、眠る際床についても、
寝付くまで寒くて2〜3時間かかり、
朝もスッキリ起きることが
難しくなってきていた。
ただ、勉強を毎日していたお陰で
学年末テストでは
ほとんど1位を取れていた私は、
「痛みや、身体の冷たさ、
眠たさに負けないで頑張った成果だわ!
もっと耐えて強い私になろう!」
そう思い始めていた。
そして私は、晴れて
第一志望の進学校に
入学することができた。
「きっと、楽しく勉強できるような
高校生活が待っているはず!!」
入学当初の私の心は踊っていた。
しかし、この時私は、
今後の高校生活が
悲惨なものになろうとは
夢にも思っていなかった。
初めは、順調にいっていた
高校生活だったが、
進学校ということもあり
毎日小テストがあった。
なので学校から帰れば、
毎日英単語を100程覚えたり、
古文単語を50程覚えたり…
学校の授業についていくために、
他の教科の復習や予習も必要。
正直、毎日が一杯いっぱい。
遊ぶ暇などなかった。
しかも首も肩も勉強を
すればするほど痛い…
夜も手足の冷え、
小テストへのプレッシャー等で眠れない。
私の地元から高校までは
電車で1時間半かかったので、
私は高校の近くの下宿で生活をしていた。
隣の部屋が同じ故郷の
同級生のHだった。
Hが、毎朝私の部屋まで
迎えに来てくれていたのだが、
よく眠れていなかった私は
朝起きることができず、
頭がまわらずうまく理由も説明できず、
せっかく迎えに来てくれていた
Hに申し訳ないことをしてしまった。
そんな私のことをHは
よく思わなかったのだろう、
私を邪険に扱ったり、
勘違いで私を責めてくることもあった。
寝不足で毎日ぼーっとしていた私は、
H以外の生徒とも
うまく接することができなくなっていた。
頭がぼーっとして
うまくしゃべれない、
言葉が出てこない。
様々な面で誤解されるようになり、
どんどん周りから人がいなくなった。
私は独りぼっちになった。
2年、3年になっても
日々のテストのプレッシャー、
ついには身体全体が冷え
一睡もできない日々が続き、
具合が悪く朝トイレで
吐血することもあった。
寝不足で頭がぼーっとして
誰とも話せない日々が最長で
一週間続くこともあり孤独だった。
心と身体がもう限界だった。
生理も2,3ヶ月に
1回しか来ない状況になった。
学校の先生に相談しても、
「僕も忙しいから、
君の悩みをずっと聞いては
いられないんだよ。」
親に相談しても、
「優花は心が弱いからねぇ、
仕方がないよねぇ。」
そんな言葉が返ってくる。
死のうと思った。
生きていてもみんなの邪魔、
何の意味もない弱い人間に
なってしまった気分だった。
好きだった勉強も
どんなに頑張っても、
首や肩が痛く、
眠れずぼーっとして
何にも頭に入らない。
成績もどんどん下がった。
将来の夢もあった。
だが、このままの私ではもうダメだ。
しかも、親には
その夢を叶えるために
行きたい学部があったが
反対されていた。
心の拠り所がなくなった私は、
おかしくなった。
手先にブツブツと
水疱ができて痒くなった。。
病院に行くと
『自律神経失調症』が原因だった。
事の重大さにようやく、
両親が気づいてくれた。
そして、せめて勉強しやすいようにと
肩の治療を整骨院で
受けさせてもらえるようになった。
しかし、一週間に一度の治療も、
効果は2日も持たなかった。
こうして、
苦しかった高校生活は終わり、
担任に「お前の成績で行ける
国公立大学なんてないよ。」と、
言われていたが、
意地でなんとか第一志望ではないが
国公立大学に入学することができた。
大学生活は上手くいったどころか、
高校時代の鬱憤がたまりすぎて
かなり遊んでしまったところがある。
しかし、私はそこで初めて
本音でぶつかり合い、
心の底から笑い合える仲間と出会えた。
私の心は少し明るく変化してきた。
一方、私の身体は変わらなかった。
高校時代と同じまま生理不順で、
首肩のこりが残り、
手足の末端が冷たく眠れなかった。
そして、大学卒業後、
私は運良く一番働きたかった会社に
入社することができた。
しかし、不眠症が
治っていなかったわたしは
朝に弱く、会社に
遅刻してしまうこともしばしばあった。
仕事中ぼーっとしてしまい、
仕事の覚えも悪く、
簡単なことでも
ミスをしてしまうことがあり、
上司達やお客様を
困らせてしまうこともあった。
特に生理前や生理中は、
頭痛やフラフラして
苦しい身体に更に鞭を打って
仕事をした。
「みんな大変なのは同じだ。
私だけじゃないんだ!」
そう、自分に言い聞かせながら…
そんな私に目をつけて
イジメてくる上司がいた。
その上司とは、よく仕事を
共にしなければならないこともあり、
私はほぼ毎日理不尽な
イジメをうけることになった。
頭がぼーっとしてすぐに言い返すことも、
抵抗することもできず
ただ泣くことしかできない。
助けてくれた同期や他の上司もいたが、
私が一人になったところを狙って
イジメは行われた。
仕事についていけない
情けない自分を責め、
上司のイジメにも耐えきれなくなり、
私は仕事ができないなりにも
大好きだった職場を辞めた。
「どこへ行っても、どんなに頑張っても、
どんなに我慢しても
自分はもう報われることはないのだ。」
大好きだった職を失った私は、
絶望した。
絶望の中職を転々としたが、
歳をとるにつれ
生理痛もひどくなり
前頭部を強打されたような頭痛や、
下腹部の痛みにさいなまれ
上手く行かず鬱々とした
日々を過ごした。
そんなある時、主人と出会った。
主人は、情けなくて
弱い私の全てを
受け入れてくれる人だった。
生理痛や、冷えでの不眠症で
フラフラになり
身の回りのことが何もできず、
寝たきりになってしまった
私の世話までしてくれたことに
本当に感謝をしている。
主人の夢と私の夢が一致していたため、
私たちは夢の実現のため、
札幌に移住した。
そして、ついに私は
「クリア鍼灸院」との
出会いを果たした。
きっかけは主人の
「生理痛を治してみないか?」と、
いう一言だった。
「もう、寝たきりは嫌だ!
治るなら治してみたい!」
藁をもつかむ思いだった。
クリア鍼灸院の内田先生は
明るく優しい女性で、
「いままで、辛かったですね。
必ず治しましょう!」
そう、温かい言葉をかけてくれたので、
「必ず治そう!」
私も希望をもつことができた。
こうして、私の生理痛の治療が始まった。
ゆうかさん体験談②『15年間の呪縛とサヨナラ!』に続く↓
https://harikyu-clear.com/archives/2244